SHINYEI History #17 貿易事業の拡大
1952年(昭和27年)6月に日中民間貿易協定が調印されると、神栄は直ちに中国貿易の開始を決定し、中国政府に書簡で貿易を申し込みました。
戦後の日中貿易としては2番目か3番目であり、神戸では第1号でした。
1954年(昭和29年)には、神栄が初めて中国から落花生を輸入し、その後、落花生の取扱量は増加していき、現在でも取引が続いています。
1961年(昭和36年)12月には、中国より「友好商社」の指定を受けました。
また、対米貿易も拡大し、絹織物、ねじやボルト・ナット類といった金属製品、家電製品などの輸出を手がけ、1959年(昭和34年)2月には、米国向け取引を一層拡充するため、ニューヨークに現地法人Shinyei Company, Inc.を設立しました。
さらに、1963年(昭和38年)2月に香港からエビの輸入を開始し、その後、東南アジアにも仕入地を拡大するとともに、エビ以外の魚介類の輸入へと事業を拡げ、欧州など世界各国とも貿易取引を拡大しました。
輸入開始当初の香港エビ
一方、明治以来、生糸の輸出が日本の経済基盤を支えてきましたが、1963年(昭和38年)に生糸の輸入が始まり、1966年(昭和41年)には輸入が輸出を逆転しました。
こうした構造変化をいち早く察知し、1965年(昭和40年)2月に他社に先駆け中国からの生糸輸入を始め、その後も輸入量は増加し、生糸輸入で神栄がトップの座を占め続けました。
神栄の生糸製品
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