SHINYEI History #21 勇気ある決断

SHINYEI History

SHINYEI History #21 勇気ある決断

1973年(昭和48年)10月に第一次石油危機(オイルショック)が起こると、日本経済は経済成長から一転して不況に見舞われることになりました。
特に繊維業界の不況は深刻で神栄の繊維事業も大きな影響を受け、電機部門もカラーテレビの需要急減によりコンデンサの生産調整を迫られました。
貿易部門は比較的好調を維持できたものの、1978年(昭和53年)10月には第二次石油危機も起こり、業績は長期にわたって低迷しました。

不況が長引き、産業構造の変化など経営をめぐる環境が変化する中、神栄でも多角化経営を見直すこととなり、企業体質の抜本的な改善強化を図るため、不採算部門の縮小や事業撤退、人員削減に取組まざるを得なくなりました。
中でも、製糸事業からの撤退は大きな決断でした。
生糸の需要が国内外で衰退の一途をたどる中、石油危機が追い打ちとなり、製糸業の経営は悪化を続け、ついには、1981年(昭和56年)4月に製糸事業から撤退する方針を決定し、1983年(昭和58年)3月にはすべての工場で生糸の製造を中止して、55年間にわたる事業に終止符を打ちました。
製糸事業は神栄の象徴とも言える事業でしたが、経営を取り巻く環境が大きく変化したからには速やかに撤退して新たな事業に活路を見いだすべき、という苦渋の決断でした。

製糸事業撤退に伴い閉鎖した石岡工場(1975年頃)

 

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