SHINYEI History #8 製糸業の拡大

SHINYEI History

SHINYEI History #8 製糸業の拡大

金融恐慌の痛手から立ち直らないうちに起こった世界恐慌では、日本産生糸の大口消費者であった米国市場が大きく混乱した影響で、価格は暴落し、生糸の輸出は大きな打撃を被ったことにより、経営難に陥る製糸業者が続出しました。
神栄は、先の綾部製糸に引き続いて、大分県中津市下宮永の豊中製糸株式会社、愛知県葉栗(はぐり)郡木曽川町(現在の一宮市木曽川町)の山十製糸株式会社木曽川製糸所、長野県小県(ちいさがた)郡県(あがた)村田中(現在の東御市田中)の山十製糸株式会社田中製糸所を相次いで引き継ぎ、それぞれ豊中生糸株式会社(1930年(昭和5年)10月)、木曽川製糸株式会社(同年12月)、田中製糸株式会社(同年12月)として発足させました。
後には、茨城県新治(にいはり)郡石岡町(現在の石岡市)の小口組石岡製糸所を引き継ぎ、1939年(昭和14年)12月に株式会社神栄生糸石岡工場としました。

このように、順次経営を引き継いでいったことで、神栄は国内有数の製糸会社へと発展していきました。
これらの会社は、形式的には子会社でしたが、実質的には直営のような形をとり、本社製糸部による統括の下、機構改革、一度に多くの生糸を巻き取れる多条繰糸機(たじょうそうしき)への切替え、研究課を設置しての技術向上などに取組み、優良な生糸を増産し、事業基盤の強化を図っていきました。

当時の綾部工場(左)と田中工場

 

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