SHINYEI History #4 発展と混乱

SHINYEI History

SHINYEI History #4 発展と混乱

神戸生糸検査所が短期間で閉鎖となり、神戸生糸市場開設という当初の目標はかなわないままでしたが、横浜市場を事業の本舞台として、社業は比較的順調に伸び、明治年間において生糸商社としての基盤を固めていきました。
また、1914年(大正3年)8月に経営の多角化を目指した新事業の基本方針を決定し、翌年の1915年(大正4年)4月には貿易部を新設し、繊維・雑貨などの輸出を開始しました。
これらと併せて、事業の発展により手狭となった神戸本店社屋の増改築を行い、同年1月に新社屋が完成しました。

好調に推移していた生糸市場ですが、1914年(大正3年)7月に第一次世界大戦が起こると、一変して大混乱に陥り、生糸価格は下落しました。これを受けて設立された国策会社には神栄も出資し、この会社が生糸の買い支えをしたことで価格は回復に転じましたが、さらに1918年(大正7年)11月の終戦以降、生糸市場が活況となり、投機筋の介入もあって、1919年(大正8年)から1920年(大正9年)にかけて、生糸価格は暴騰と暴落を繰り返しました。
このように市場は混乱の中にありましたが、製糸業と異なり、生糸の委託販売を行っていた神栄は、生糸価格の変動による影響を大きく受けることはなく、比較的着実に収益を確保していくことができました。

増改築後の本店社屋

 

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