SHINYEI History #22 電機部門の奮闘

SHINYEI History

SHINYEI History #22 電機部門の奮闘

カラーテレビの普及に伴い活況に恵まれていた電子業界も、石油危機(オイルショック)を境に急転し、神栄のコンデンサも大幅な受注減に見舞われました。

電機部門ではコスト削減が大きな課題となる中、1980年(昭和55年)6月には長野シンエイ株式会社を設立して田中工場を、翌1981年(昭和56年)6月には京都シンエイ株式会社を設立して綾部工場を、それぞれ子会社として独立させ、採算性改善を図りました。

また、電子業界における技術革新はめまぐるしく、神栄でも研究開発に取組みました。
その結果、コンデンサでは、1980年(昭和55年)に、カラーテレビの回路設計の高度化に対応した高圧パルス用コンデンサの開発に成功しました。

一方、1978年(昭和53年)3月には、1970年(昭和45年)に開発した湿度センサ「シンエイ・ヒューミスタ」が大量生産に不向きであったという問題点を解決した、高分子湿度センサ「シンエイ・ヒューメント」を開発することに成功しました。

高精度かつ小型・軽量で、大量生産できるため安価で供給できるという特性は高く評価され、マイクロコンピュータへの組み込み用途や、ニューヨークのメトロポリタン美術館をはじめとする国内外の美術館、博物館、図書館、病院、各種研究室など特に精度の高い湿度管理が求められる施設にも採用され、順調に販売が拡大していきました。

今でも「湿度の神栄」と呼ばれる所以は、ここにあります。

 

現在製造している神栄の湿度センサ「シンエイ・ヒューメント」

 

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