SHINYEI History #27 研究開発の強化と海外生産への進出
神栄の電子部門ではかねてより、技術革新の激しいエレクトロニクス業界を生き抜くためには、研究開発の充実強化が不可欠であると考えていました。
折しも、神戸市が先端技術産業を中心とした研究開発の集積地として、神戸市西区に「神戸ハイテクパーク」を開発し、公募を開始しました。
これを受けて神栄では、用地取得を決議して施設の建設に着手し、1989年(平成元年)6月に中央研究所を設置、同年10月より「神戸テクノセンター」として活動を開始しました。
神戸テクノセンター(開設当時) |
また、円高の定着を受け、電子業界では海外生産や部品の現地調達化の動きが活発となるなど、従来にも増して海外市場が重要となっていました。
まず海外販売戦略として、1989年(平成元年)5月に、日系企業が集中していたシンガポールに現地法人Shinyei Singapore Pte. Ltd.を設立しました。
さらには、主要顧客である電機メーカーの海外生産シフトに合わせて、1992年(平成4年)1月には、東南アジアにおけるコンデンサの生産拠点として、マレーシア・ジョホール州に、現地法人Shinyei Kaisha Electronics (M) SDN. BHD.を設立しました。
Shinyei Kaisha Electronics (M) SDN. BHD.本社・工場 |
このような中、1993年(平成5年)7月に証券取引所における所属業種の一部変更が行われ、神栄は、上場当初の「繊維業」から、現在の「卸売業」に変更となりました。
SHINYEI History シリーズはこちらから | 第28回につづく |