【ベトナム・ホーチミン市駐在員発】ロックダウン(都市封鎖)現地レポート その1

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【ベトナム・ホーチミン市駐在員発】ロックダウン(都市封鎖)現地レポート その1

ベトナム・ホーチミン市で新型コロナウイルス感染拡大封じ込めのため、2021年7月にロックダウン(都市封鎖)が実施されました。今回は、ホーチミン事務所の駐在員からの現地レポートをお送りいたします。


 

昨年7月上旬に政府指示により、ホーチミン市を初めとするベトナム南部の複数の省・市でロックダウン(社会隔離措置)が開始されました。これは、①対象となるエリアの全ての住民に自宅待機を要請、②食料、食品、薬品の調達や救急の目的、必需品などを生産・提供する企業・工場で働く目的、及びその他の緊急の場合など、本当に必要な場合に限って外出を許可、③会社、学校、病院の外部や公共の場所において3人以上で集まらない、などの行動制限がかかりました。

当初、ロックダウンの期間は2021年7月9日から2週間で開始しましたが、蓋を開けてみれば9月末まで約3ヶ月もの間、この状況が継続されました。当時は、日を経るごとに対象となる省・市が増え、経済活動は停滞し、各種報道やメディアは連日、感染状況の報道一色となりました。

市民に対し厳しい行動制限を強いると同時に、企業活動や工場操業に対し原則通勤を認めず、工場や会社の1ヶ所で飲食、休息、企業活動を行なう「職場合宿」や「Three on one site」等と表現される措置を求めた事が驚きでした。各社は完全リモートワーク、企業活動の停止、もしくは「職場合宿」のいずれかを選択する事となりました。私はロックダウン中、リモートワークで対応しておりましたが、工場に住み込みしていた数名の日本人の方もおられました。その方々の話では、政府の通達が唐突で、住み込み可能の従業員の募集、食料など衣食住に関わる物資の調達などに要する十分な時間も無く大変であったそうです。また当初は2週間程度で大変な状況も解放されると思っていたが、何日、何週たっても家に帰れず、結局3ヶ月間も住み込みだったという、私には考えられないような大変な期間を過ごされた方もいらっしゃいました。その方々のうち、ベトナム人の従業員との絆が深まった、会社として一致団結できた、従業員の逞しさが感じられた等、困難な環境を共にした事によるプラス面があったと話す方もいて、非常に感銘を受けました。

一方、ホーチミン市近郊地域へ働きに出ている地方出身者がロックダウンになっていない自分の郷里へ戻ろうとして、感染拡大を防ぐため市民移動を止める警察との間で大変な騒動に発展しました。

ロックダウン中の私はと言いますと、取引先も大変な状況であったため最低限の現地対応を在宅勤務で行なっていました。取引先工場の稼働や、輸出入の状況など現状報告を常に行ない、日々変わる情勢の中、今できる最善の手を考える毎日でした。その中でも大変であったのが、食料の調達です。

ロックダウン開始直後は、徒歩圏内にある近くのスーパーやコンビニへ出掛ける事も出来ていましたが、約2週間経過した7月22日より規制が一段と厳しいものになりました。ホーチミン市ではロックダウンしても感染状況に改善が見られない事から、各家庭へ「買い物許可証」なる紙を配布し、市民へ週に2度許可書に書かれた曜日のみ外出を許可する指示を出しました。また感染拡大しているエリアに対しては、市民の外出完全禁止とし生活必需品は地方自治体が配布する事となりました。22日以降、住居から出る際も、スーパー入店時などに許可書の提示を求められました。私の住まいから徒歩圏内にスーパーがあり幸いでしたが、近くにない場合はタクシーの運行も殆ど無い状況であったので一層、大変だった想像します。26日以降は、18:00~6:00までの期間を外出禁止とし、スーパーなどの営業時間が17:00閉店となるなど規制も厳しくなるほど感染拡大に歯止めがかからない状況でした。7月下旬のホーチミン市の1日当り感染者は4,000~5,000名、ベトナム全土で7,000~8,000名でした。

レジ待ちの風景 買い物許可書 飲料水の確保

 

「【ベトナム・ホーチミン市駐在員発】ロックダウン(都市封鎖)現地レポート その2」へ続く