SHINYEI History #10 戦時下へ

SHINYEI History

SHINYEI History #10 戦時下へ

製糸業への進出など業容を拡大したことにより、本社事務所が手狭となったことを受け、創業の地である神戸市神戸区(現在の神戸市中央区)栄町通から、1933年(昭和8年)4月に同区海岸通5番地の商船ビル(現在の商船三井ビル)へ、1935年(昭和10年)3月には同区明石町19番地の神戸海上火災保険ビル(現在のあいおいニッセイ同和損保神戸ビル)へと、相次いで本社を移転しました。

恐慌の中にあって、生糸の製造から販売・輸出までの一貫体制を構築し、事業拡大を果たした神栄でしたが、次に戦争という大波が襲いかかってくることになります。
1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件を発端として日中戦争が始まり、そして1939年(昭和14年)9月には第二次世界大戦が起こり、戦時統制が強化されていくこととなりました。
このような中、神栄では、製糸事業の合理化のため、1940年(昭和15年)9月に、新綾部製糸、豊中生糸、木曽川製糸、田中製糸、神栄生糸石岡工場の製糸子会社5社を統合して、神栄製糸株式会社を発足させました。
その2年後となる1942年(昭和17年)12月には、神栄本体が神栄製糸を吸収合併して一体経営を強化しましたが、戦局の悪化に伴い、国家の重要産業である蚕糸業の企業統合を目的として、1943年(昭和18年)4月に国策会社として設立された日本蚕糸製造株式会社により、製糸工場の借用・接収が順次進められました。

日本蚕糸製造時代の旗(田中工場)

 

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